「依頼は苦痛の源なり」

 

財貨を依頼めば財貨の為に苦しめらる
人物を依頼めば人物の為に苦しめらる
我身を依頼めば我身の為に苦しめらる
神仏を依頼めば神仏の為に苦しめらる
そのゆえ何ぞや。他なし、「たのむ」心が有相の執心なればなり。これを自力の依頼心と云う。          有限無限録

 小学生の頃の思い出である。絵の宿題が出されたとき、絵が不得意な私は、どうしても描くことが出来ず、母親にお願い(依頼)して、大部分を描いてもらい提出した。その絵は他の生徒の絵と並んで廊下に張り出され、すぐさま話題になった。普段まともに描けないのに、この時ばかりは、ずば抜けて綺麗な絵であったからである。張り出されている期間の自分はその絵を遠ざけて過ごしていた。大変苦痛な期間であった。母親に手伝いを頼んだ自分を後悔し、今でも赤面する思い出である。 人に「依頼」や「お願い」をすることは、結局は自分自身が苦しみ、そして頼まれた側の相手も苦しみ傷つけることにもなる。これは人間関係に限らず、お金そして我が身さえも頼みとすれば、それに苦しめられる時がくる。この言葉は、自己の根強い執着をあらわす言葉として響いてくる。頼む心が人間の執着心からなることを意味しているのであろう。      

                                                        《T》 

2017年06月01日