「生かさるる いのち尊し けさの春」

 


 明治30年高山市に畳職人の子として生まれた、中村久子さんは2歳の時に凍傷がもとで突発性脱疽になり、両手足を切断しなければなりませんでした。厳しい母のしつけのおかげで、文字を書く、縫物、編み物ができるようになり、二十歳で独り立ちしていきます。 見世物小屋での仕事、ヘレンケラー女史とのであい、その後の人生は激動そのものでしたが、彼女の生きざまは人々の心を動かします。その生きる支えとなったのが、『歎異抄』との出遇いです。
 私の生活で足りないものは何なのでしょうか。満足を知らず、不満ばかりを口にして、生きるということに感謝の心など起こってこないのです。しかし中村久子さんは「ある、ある、ある、みんなある」といわれます。今不満を言っている自分に眼を向けてみると、その私がどうやって今の私にまでなってきたのかという、そのことに眼もむけずに自分の都合のいいように生きようとする私は一体何者なのでしょうか。親鸞聖人は『歎異抄』で「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞いちにんがためなりけり」と言われます。いつも佛から願われている者が、知らぬ顔して「自分のいのち」を「生きている」つもりになっています。
 また中村久子さんはこのように詠われています。「手足なき身にしあれども 生かさるる いまのいのちは たふとかりけり」72年の生涯で、いのちを「生かされている」、「尊い」と頂かれたその言葉に、私の生き様が問われてくるのです。

《IN》

2018年04月01日